File36 杉村 伸平 氏・茂登子 氏 shinpei・motoko

 

 

 

 

 

 

 

 

プロフィール

子どもとともにある

~社会福祉法人静岡恵明学園創立者~

 

 

1 11人の子ども達とともに

杉村伸平先生、茂登子先生ご夫妻は、昭和27年12月10日東京都中野区の小さな神社で両家の家族だけの結婚式を挙げました。伸平先生は普通の背広にネクタイ、茂登子先生は先生のお姉さんが作ってくれたワンピース姿でした。戦争は終わっていましたが世の中がまだ騒がしかったころのことでした。

その日は小田急線で神奈川県にある鶴巻温泉で一泊した後、伸平先生は東京都世田谷区成城にあった恵明学園へ、三島幼児部として生活を共にする11人の子ども達を迎えに行きました。茂登子先生は静岡県三島市山中新田にある宗閑寺へ、その子どもたちを迎える準備のために向かいました。

茂登子先生が国鉄三島駅に着いたのは夕方でした。最終の元箱根行きのバスに乗り、山道を登っていきました。暮れてゆく空を見上げながら、茂登子先生は少しの不安はありましたが明日から始まる生活への期待でいっぱいでした。宗閑寺のバス停でバスを降りた時には日はとっぷりとくれ、一晩の宿をお願いしてあったお寺の向いの煙草屋さんに泊まりました。次の日、12月12日茂登子先生は朝早く起きて向いのお寺へ行き真っ黒になって掃除をしました。夕方伸平先生が11人の幼児を連れて東京からバスで着きました。ご夫婦と子ども達と東京から子どもたちに付き添ってきた保母さんとで、恵明学園三島幼児部の暮らしが始まりました。

普段は無住の宗閑寺でしたが、お葬式や法事があると寺の庫裏で生活をしている子どもたちの居場所がなくなりました。そんなときは全員で大人も子どもも遠足に出かけました。鍋や釜を持って今でいうアウトドアライフの先取りのようでした。お風呂は、国道一号線をまたいだお向いの煙草屋さんのお風呂をお借りしました。11人の子どもたちが、お風呂のたびに半裸で国道一号線を渡っていく姿を想像するとほのぼのとしてきます。

1年契約でお借りした宗閑寺の次の住まいは、三島市山中新田にある山中城址の南側の畑を譲って頂きました。とんとん葺き(木の皮でできた屋根)の雨漏りがしたり、夜には星が見えたりするあばら家でしたが、初めての自分たちの家で皆大喜びでした。ただ、ここでは水に困りました。水を竹筒で引きました。雨が降ると濁って飲めない水でしたが、水をもらいに来る人達にも冷たくておいしい水との評判でした。車がオーバーヒートをして、水をもらいに来た米軍横田基地の皆さんと縁ができたのもこの時期でした。

 

2 静岡県の養護施設として認可

昭和29年9月1日、静岡県の養護施設として認可を受けました。定員15名。その後2年間に3つの家を敷地内に建て定員を26人に増員しました。

昭和34年11月13日、社会福祉法人静岡恵明学園として法人認可を受けました。

杉村伸平先生、茂登子先生は昭和36年8月21日に沢山の方々の御協力を得て三島市谷田2143番地に新園舎の建設を起工し翌年3月3日に落成、施設を移転しました。鉄筋コンクリート造り水洗トイレの夢のような家でした。

 

3 香淳皇后陛下の行啓

昭和40年4月20日昭和天皇が国立遺伝学研究所行幸の折、皇后陛下が静岡恵明学園に行啓くださいました。杉村伸平先生、茂登子先生は大変光栄なことと皇后陛下をお迎えしました。伸平先生が皇后陛下をご案内して幼児の部屋を通るとき、1人の幼児が待っている間のおやつとしてもらったキャラメルの包み紙を皇后陛下へ渡そうとしました。杉村伸平先生は体中の汗が一瞬にして噴き出すような感覚を覚えたそうです。皇后陛下はその包み紙を受け取って侍従にわたされ、優しくその子の頭をなでて何事もなかったように杉村伸平先生の説明に耳を傾けていたそうです。伸平先生は感激したと後年まで言っていました。

 

4 乳児預り所の認可

昭和45年7月1日、かねてより熱望していた0歳から18歳までの一貫した養育を実現する乳児預り所が定員9名で認可されました。昭和49年には定員を20人に増員し、静岡恵明学園乳児部としました。自然な形で0歳から18歳までの生活が始まりました。

昭和53年4月1日、これまでの静岡恵明学園の「子どもとともにある」の理念で培った養育のノウハウを世に問うために芙蓉台保育園を開設しました。

昭和57年4月1日学園創立30周年を記念して三島市笹原新田81-1に小舎コテージシステムの児童養護施設を建設して谷田から移転しました。

平成6年4月1日、静岡恵明学園乳児部園舎の改築の際、乳児保育所と地域交流室を併設して地域の子育て支援を目指して赤ちゃんセンターを作りました。

 

5 杉村夫妻が歩いてきた道

杉村伸平先生は福祉村構想を打ち出し、これからの静岡恵明学園の将来を考えていた矢先の平成7年9月30日早朝、死去されました。

杉村伸平先生の地道で謙虚な生き方が沢山の人との出会いを生みその方々の心を動かしました。そしてその沢山の方々が先生を応援して下さったのです。気が付くと、杉村伸平先生、茂登子先生は子ども達からも、職員からもそして誰からも恵明のお父さんお母さんと呼ばれていました。

杉村伸平先生、茂登子先生が歩いてきた道はまだ果てしなく続いています。先生達は社会福祉は社会教育であるとおしゃっていました。そして「子どもとともにある」、この理念はそれを受け継ぐすべての人たちの心に先生ご夫妻の優しい笑顔とともに生き続けるものだと思います

 

 

社会福祉法人静岡恵明学園

理事長  杉村 伸一 氏 執筆